綜學社

復興の祈り

東日本大震災から、一年が経ちました。

被災でお亡くなりになられた方々のご冥福を、心からお祈り申し上げます。
そして、ご遺族の心の平安と未来を願い今後も微力ではございますが、
私共にできる限りの「継続した復興支援」を行って参ります。

宮城にある私の実家も被災。身内を亡くした私にとっても、今日は本当に
特別な日です…。
昨晩からこの一年間を振り返り、眠れずに過ごしておりましたところ
朝一番で青年部の大久保からこのようなメッセージが届きました。
 

『1年という時が過ぎるのはあっという間ですね…。昨日と今日は特別な日。。。
命あることに感謝し、大切に時を過ごしたいと思います。

僕たちの活動の目的の一つは、林先生の綜學によって国民の心の苦しみや迷いを
救う事。

日本人としての心のあり方を学び深め、強く発信していけるように努めます。』

 

震災の前日は、関西学生大会。大学生と共に行った、綜學社の本格的な活動は
東北の復興支援でした。
当初はマスコミも被災地に入れず、どのような状況かわからない日が続いていましたが
現地にいる弟と携帯で何とか連絡をとりながら情報を収集し、その時出来る限りの
最善・最短の方法を行う事の連続でした。

全国にある林先生の志塾の受講生の方々、関西の大学生・京都の舞妓さん、
友人の子供たちから親御さんまで……
本当に色んな方々に支えられて、支援活動をさせていただきました。

   

今後も、皆さまからいただいた真心を忘れずに、私共に出来る限りの
復興活動に力を注いで参ります。

そして、今一度「日本」という国の心の和を私たち一人ひとりが
見なおす事の出来る環境をつくっていきたいと心から願っております。

 

宮城県仙台市出身  三浦 有貴

復興を願うご縁の絆

先月下旬、お盆を迎える被災地の方々に京都から200本の
念珠を送らせていただきました。

ご協力いただいたのは、(有)プロスパーの伴克亘社長と
福永念珠舗の福永荘三店主。

伴社長は4月の初め、福島県南相馬市へ支援活動に行かれました。
その際、多量の念珠を被災地の方々に配られたそうですが
家も仏壇もなくなってしまったという現地の方々に、とても
よろこばれたそうです…。

被災から5ヶ月が経ちましたが、まだ仮設住宅にも入居できない
方がたくさんいらっしゃいます。

お盆を迎えるまでに、せめて弔いいただける物をお届けしたいと
いう願いのもと、皆さまのご協力をいただき被災地へ運ぶ
準備を進めて参りました。

そして先月、当社の安並代表が200本の念珠を岩手県宮古市と
釜石市へ運び、現地の方々に直接配らせていただきました。

 この念珠は、福永念珠舗9代目の当主となる福永さんの手づくりです。

念珠づくりについて福永さんは、

「念珠が輪になっているのは、共に思いやりを持ち、支え合う人と人との
ご縁をつないでいるという意味もあるのではないかと思います。
私は念珠づくりを通して、人々のご縁を大切につなげていく担い手になりたいと
願っています。」

と、語られています。
http://kyoto.wakasa.jp/detail/25/314/

本場京都の念珠、そして当主が一つひとつ手をかけているものと
いう事もあり、現地の方もとてもよろこばれたそうです。

人を思いやる一つの行動が、いろんな人と人とのご縁と繋がって
また新しいご縁に結び付いていく…。

支援活動に際しては、数多くのご縁に支えられてきました。
ご協力いただいた皆さまに、心から感謝申し上げます。

また、当社では、今後もできる限りの支援を長期的に行う所存で
おります。

復興を願うご縁が固い「絆」となり、日本再生の力となる事を願って***

 

音楽での支援活動

7/26(火)、東京都江東区文化センターで行われた熊谷育美さんの
トーク&コンサートに行って参りました。

前半は、綜學社の安並代表との被災地トーク。

熊谷さんが映した震災前の気仙沼の美しい景色、
そして震災直後と現在の様子を見ながらのお話でした。

ニュースで見聞きはしていたものの、被災者ご本人から伺う話は
やはり胸に突き刺さるものがありました…。

「震災後、しばらく歌うことが出来なかった…。」
と話す育美さん。

それからはじめて歌ったのは、避難所にいる女の子のひと言から
だったそうです。

育美さんの歌が心に響くのは、震災を間近で経験しているから。
その歌声から勇気や希望をもらえるのは、乗り越えていこうとする
懸命な姿勢からでしょうか…。

 

私の地元も宮城ですが、この震災で姪を亡くしました。
生後3ヶ月で津波で流された姪は、震災から4ヶ月経った先日、
近くの用水路で遺体で発見されました。
私は、姉として弟夫婦にかけてあげられる言葉が正直、
見つかりませんでした…。

二度目の強震で、実家は半崩壊。

「お姉ちゃんは、せっかく安全な所にいるのだからまだ帰って
来ないで欲しい…。」

震災からずっと、帰りたくても帰れなかった実家の現状と
張り詰めた気持ちがあって
育美さんの歌を聴いていたら、涙が溢れて止まりませんでした。

私自身も今回、音楽と歌を通してたくさんの勇気と希望をいただきました。

もしかしたら、育美さんの歌だったらきっと聴いてくれるかもしれない…
と思い、弟夫婦に、育美さんのCDを送りました。

 

サインの下に、

「がんばっぺし」と、書かれたこの言葉。

これは、同じ被災者だからこそ伝わるものがあるのだと感じました。

育美さんには、今後多くの方々に音楽と歌を通して多くの事を
伝えていかれる使命があると思います。

今後も応援させていただきたい方だなと、思いました。

貴重なご縁をいただき、本当に有難うございました***

扇メッセージ完成!

青年部のスタッフが、街頭で集めた100人のメッセージが
完成しました☆

こちらは、100本のお扇子に添える手紙。
一枚一枚、祈りを込めておりました。

このお扇子は、当社の安並代表が自ら岩手県へお届けする予定です。

ご協力いただいた皆さま、本当にありがとうございました***

つながる想い、つなげたい願い

東北支援プロジェクト   

~歌と音楽でつながろう~

110726『熊谷育美』トーク&ライブコンサート

7月26日(火)、東京都江東区文化センターにて、気仙沼大使であり
シンガーソングライターの熊谷育美さんを招いた、トーク&ライブ
コンサートが開催されます。

このプロジェクにトは、綜學社の安並代表が関わっており、
当日は、林先生や他のスタッフも応援参加する予定です☆
ひとりでも多くの方々にご参加いただきたく、皆さまへ
ご案内させていただきます!

震災後、各地で様々なチャリティーコンサートが開かれていますが
実際に、被災した方が歌い手となり震災を語るイベントはそう多くは
ありません。

収録途中で震災に遭い、命からがら高台に避難した熊谷さん。
あと5分遅ければ、津波にのみ込まれていたそうです…。

ある歌番組で、熊谷育美さんの歌を聴いた安並代表は
「生まれてはじめて、歌を聴いて涙があふれた」と話します。
そして、その歌を聴いた被災者の和らぐ笑顔がとても印象的で
あったと。

きっかけは、あるテレビ番組でした。
「この歌を、もっと多くの方に聴いて欲しい。」
…そう思った安並代表は、すぐさま熊谷さんにメッセージを送り

そして、その願いが実現となりました。

綜學社では、3月に緊急の支援物資を気仙沼に運んでおり
翌月は、避難所の仮設シャワーの設置支援に関わらせて
いただきました。

そのような事もあり、気仙沼はとてもご縁深い土地です。

今回は、歌と音楽を通し東北復興の応援ができれば
嬉しく思います。

ひとりでも多くの皆さまに、本当の現状を知っていただきたい…
そして、復興を胸に歌い続ける熊谷さんの歌を是非とも
聴いていただけたらと、願っております。

学生たちの支援活動

先日、学生スタッフと共に被災地に送る扇子を選びに行って
きました。

こちらは、創業180年の老舗扇屋大西京扇堂さん。
知恩院や妙心寺もご用達で、京都では格式高い扇屋さんです。

兼ねてから、被災地への支援活動の際は物資を送るだけではなく、
地域性をいかした京都ならではの「心」もお送りできるような、
支援活動を行って参りました。

今回は、京都発祥の京扇子に皆さんの祈りをのせて、被災地に
送らせていただく準備を進めています。

日本の扇子は、世界に誇るべき伝統工芸品です。

どんなに機械技術が発達しようとも、いまだに一本一本手作業で
作られているこのお扇子は、完成までになんと!
20~30人の職人さんの手がかかっているんです。

そして、扇は全体をつなぐ「要」(かなめ)が命。

要が外れてしまうと、一本の中骨がバラバラになってしまい
扇は扇として成り立ちません。

この一本の骨を私たち一人ひとりに例えると、要の部分は
日本人の「結束力」
この国を共に立てなおそうとする、復興精神ではないでしょうか。

皆が団結して、被災地の復興に努め日本の未来を創っていきたい。
扇の形のように、「末広がりに日本が栄えるように」という強い願いを胸に、
学生たちと扇子を選びました。

店員さんから、扇子の成り立ちを教えてもらうスタッフ。
(同志社大学2年 長屋くん・京都産業大学3年 田中さん)

一昨日は、事務所での作業でした。

以前、街頭で集めた被災者へのメッセージを一枚の紙にまとめています。

これが、どのようなものになるかは…

乞うご期待です☆

◆支援活動関連
 綜學社青年部 学生スタッフのブログ記事
http://d.hatena.ne.jp/sougakusya/20110615/1308098803

扇子に祈りをのせて

綜學社ではこの度、被災地に扇子を送る準備を進めております。

扇(おうぎ)の語源は、「あふぎ」。

扇は風をあおぎ、祈りをささげる為の祭事道具でした。
古来より神仏時に用いられ、今でもその伝統が根付いています。

現在、私たちが身近に使用している紙の扇子は京都が発祥です。

綜學社の近くにある五条大橋の横に、 「扇塚」がありますが
これは「扇発祥の地」を記念して建立したもの。

平安時代・平敦盛の死後、妻が夫の菩提を弔うために出家した寺が、
現在扇塚のある鴨川五条西詰にあった「平時宗御影堂」。

そして、尼となった敦盛の妻が、この寺の僧と共に作りはじめた扇子が有名になり
その後も多くの扇工が五条界隈に集ったそうです。

      五条大橋から北西(扇塚周辺)

今でも、綜學社の近くには多くの扇子屋さんが店を構えています。
私は東北出身者ですが、小さい頃には過ごしやすかった涼しい夏も
年々暑くなり、仙台では十数年前に熱帯地方にしか生息しない植物が
発見されました。

電力不足の被災地に、少しでも爽やかな風を送ってあげたいという
願いの中、青年部のスタッフが街頭で集めた100人のメッセージを添え、
この度、京扇子を送らせていただく事となりました。

綜學社の安並代表は震災後、多くの被災地に自ら足を運んでおり
被災地の現状を聞かせられる度に、絶対に風化させてはならないと
痛感しております。

私の身内も、津波で行方不明となりました。

今月の11日で、三ヶ月。

見つからなかった行方不明者は、この三ヶ月を目処に死亡
したという認可がおり、各地域で合同葬儀が開かれます。

お亡くなりになられた方、そして愛する土地・愛する人を亡くした
被災者の方々に、心より復興の祈りと願いを込めて、京扇子を被災地へ
送らせていただきます。

また、購入資金は皆さまからいただいた支援金の一部を使わせて
いただきますので、ご協力下さった方々に改めてご報告申し上げます。

支援物資の受け付けは終了致しました

多大なるご支援ありがとうございました。
今後は別の形での支援を続けていきたいと思いますので、引き続きどうぞ宜しくお願い致します。

ラジオ放送の予定

今回の支援活動が、ラジオで放送される事になりました。

支援物資の仕分け作業時、陣中見舞いに来て下さった産経新聞の吉村記者。

吉村さんは綜學社の講義を何度か受講され、記者としての見地から頂くご意見に

私も兼ねてからいい刺激をいただいておりました。

現在は、東京支社に配属していらっしゃいますが、大阪のラジオ番組に

ご縁があるとの事で、私たちの活動を紹介したいというご連絡がありました。

吉村さんは、記者としての職分を全うする事が自分ができる支援活動だと。

私は綜學社としての職分、青年部の学生達は勉学に努める職分があります。

それぞれの立場・役割を大切にしながら、生かし合うことの出来る場があることを有難く思います。

ラジオの放送日は、下記のとおり。

■1回目  3月28日(月) 深夜0:00~

■2回目  4月4日(月) 深夜0:00~

1314Hz ラジオ大阪OBC  「歌は世につれ 歌好きドン」

作詞作曲家の中村泰士さんがMCをつとめられる歌の番組です。

月曜日の深夜0:00から1:00(オールナイト日本の前)の1時間。

※ラジオがなくても、受信圏外でも、番組放送時間にOBCのホームページに

アクセスをし、題字横の「Radico.jp(ラジコ)」をクリックしてくだされば、聴取可能との事。

http://www.obc1314.co.jp/

 

出演者が希望の歌をリクエストし、その時感じた思いを語られる番組だそうです。

吉村記者は、産経新聞の業務として番組に出演する準レギュラーで2月まで番組に

携わっていました。

今回、東京へ配属になったのにも関わらず、ご縁あってラジオに出演。

そこで、私たちの活動をお話しして下さいました。

2回に分けられ放送されるとの事ですが、吉村さんの選曲もお楽しみに。

皆さんの支援物資が、届けられています☆

3/22(火)の夕方、京都を出発したトラック4台は北陸経由で走り、翌日の午前10:00頃

仙台市内に無事到着しました。

街中の定禅寺通り近辺に、80人ほど避難している場所があるとの事で、毛布・枕・下着

米などの物資を一部提供させていただきました。

それから、東松島へ移動。

こちらの地域の避難所は、電気・水道が通っている場所もあり食糧も配布されていますが

問題は家がある方…「家あり難民」が多いとの事です。

家はあえて残ったものの、電気・水道が通らず食糧がない。買いに行く場所もなく、

避難所でも全員に配布できるだけの余裕がありません…。

だからこそ、このような方々には民間のボランティアが必要なのだと思いました。

そして本日3/24(木)の午前、被害の大きい気仙沼にトラックが入りました。

やはり、こちらは他の被災地よりひどい状態で、今も電気などのライフラインは不通。

食糧・物資なども不足しているとの判断で、皆さまからいただいた物資のほとんどを

下ろしました。

そして、すぐに炊き出しを開始。

現地にいる大勢の方の力を借りながら、カレー・焼きそばなど1500食を配布しました。

皆さんからいただいたレトルト食品・子供服などは、気仙沼の方々の手元に

届きましたので、感謝の気持ちを込めてここで一度皆さんにご報告させて頂きます。

本当に、ありがとうございました***

また、今後の現地状況もお知らせしていきますので引き続き宜しくお願い致します。

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