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やまとことば国学の世界観・第9講「クミ」#講義レポート

第9講のテーマは「クミ(組織)」。

講義は「組織というのは集まりであるが、ただ漠然と集まっているのではない。きちんと構成されているものを組(クミ)と呼ぶ」という先生の言葉から始まりました。


クミの成り立ちについて説明する林先生
クミの成り立ちについて説明する林先生

ここでいう「組」は、会社や制度の話にとどまりません。世界がどう“組まれているか”という原理の話です。



まずは、「カミとクミは対になっている」という見方です。 テキストには、カミは空虚な名称ではなく、その内部にクミ(組織)の実体を包有していると記されています。つまり、中身(内容・実体)があるからこそ、それが外に現れたときに「カミ」と称えられる、という構造です。



古事記冒頭の神名も、固有名詞の羅列として読むのではなく、どのような働きと結びによって世界が構成されているかを示すものなのだと語られていました。


この「外」と「内」の関係は、やまとことばの音によって説明されます。カミの「カ」はア段の音として外に向かって開く意味、クミの「ク」はウ段の音として内に向かって閉じる意味を持ちます。



すなわち、外に開かれた姿が「カミ」。内側に秘められた内容・組織が「クミ」。この対の構造が、音そのものから読み解かれるのです。



さらに「カミ」は「噛む(咬む)」に通じるとされます。物が互いに嵌入し、咬み合はさってゐる結合の状態こそが、幽玄なる霊(カミ)の実体である、というのです。



神とは、外から名づけられた存在ではなく、内側で成立している結合・編成そのものなのだ、ということでした。



続いて、「経(たて)と緯(よこ)」の話に移ります。先生は「中心から伸びているのが縦。個々につながるのは横。だから縦が基本になる」と語られました。



大切なことは、横のつながりを増やす以前に、縦――中心へ通う筋があるかどうか。これがなければ、集まりはあっても「クミ」にはならないのです。



とりわけ印象深かったのは、経と緯が平面の図ではなく、「毬(まり)のような実在」として語られた点でした。中心(ミナカ)から無数の縦の筋が放射し、それらが互いに絡み合い、強弱をつくりながら空間そのものを成していく。



つまり「組」とは、中心から伸びる筋(すぢ)と、その筋同士の絡まりによって成り立つ生きた構成なのだ、ということです。ここで「組織」という言葉が、人間社会を超えて、生命や宇宙の成り立ちへとそのまま通じていきます。



クミが成立すると、世界は「バラバラの個」の集まりではなく、融合して一体となっているものとして見えるようになります。個性は違っても根は同じ。だから個別は孤立した存在ではなく、最初から一体の中の個別として位置づけ直されると。



クミとは、ただ集まっていることではなく、中でそれぞれが役割をもち、噛み合い、一つのはたらきとして成り立っている状態。単に人をまとめることではなく、中心から世界を組み直し、一体として生かすための日本思想なのだということを学ばせていただきました。


受講者のみなさま

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